タイヤの歴史

紀元前

3000年

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現代

中国4千年の歴史という言葉があるが、タイヤの歴史はそれを更に1千年も上回る5千年の歴史を持っている。

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最古の陸上輸送手段はソリであった。そのソリの下に車輪を付けたのはB.C.3千年チグリス・ユーフラテス河口域(現在のイラク)のシュメール人だった。車輪といっても半円状の木の板をつぎ合せ、酒樽の蓋状にし、その中心に心棒をつけたものに過ぎなかったが輸送能力は飛躍的に向上した。

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そして驚いたことには、その車輪の外周には動物の皮を被せ、銅の釘で固定したことである。まさに現代のタイヤそのものである。このようなタイヤが約3千年にわたって使われていたが、今から2千年前のローマ時代、ライン河流域のケルト人が木の車輪の外周に鉄の輪を焼き嵌める革新的手法により、鉄のタイヤが出現することとなった。

以後、鉄のタイヤの時代が1900年間近く続いた。そしてタイヤにゴムが使われ始めたのは1867年、やっと今から130年程前からである。それも当初はゴムの輪を車輪の外周にとりつけた、いわゆるソリッドタイヤであった。1914年の第一次大戦の軍用車もまだ、ソリッドタイヤが使用されており、最高速度は30㎞/h程度、長く走ると熱でゴムが焼け煙が出たとのことである。

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現在の空気入りタイヤが生まれたのは1888年、英の獣医ダンロップが息子の自転車タイヤに使ったのがはじめてとされている。もっとも空気入りタイヤのアイデアは同じく英のトムソンの1845年の特許とされているが、実用化はされず、そのアイデアも忘れ去られていたものである。そしてこの空気入りタイヤを自動車に初めて使用したのは、仏のミシュランで約百年前の1895年のパリ ― ボルドー往復(1,179km)の耐久レースだった。20回以上もパンクしてリタイヤしたが、途中では優勝者の平均速度の2倍半にあたる時速61キロのスピードを出したため、翌年のパリ ― マルセイユ間のレースには大部分の車が空気入りタイヤを装着したと伝えられている。

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なぜこの様にタイヤが丈夫になったのか。それは数多くの発見、工夫、技術開発の積み重ねの結果である。その中からタイヤ特有の技術的改善をあげてみると、

1. カーボンブラックの使用(1912年頃)

2. すだれ織りコードの使用(1920年前後)

3. タイヤコードに化学繊維、合成繊維の使用(1937年 ~ 1962年)

4. バイヤスタイヤからラジアルタイヤに(1948年)の4点位が挙げられる。

カーボンブラックはもともとは印刷インク用に使われていたが、1912年頃から自動車タイヤに使用され始め、その結果、タイヤの耐久性は3~4倍程度上がったと推定されている。なお、カーボンを混入する以前のタイヤは白色又は飴色であった。

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すだれ織りコードが採用される前はタテ糸とヨコ糸で織ったキャンバスにゴムを塗布したタイヤであったが、交点の所が切れ易くタイヤの寿命は2000~3000kmと言われていた。1908年、米のパーマーがすだれ織り状のコードを作り、コードとコードの間に薄いゴム層をはさむことにより解決した。自動車タイヤに使用されはじめたのは1920年前後とされているが、これによってタイヤライフはこれ又3~4倍向上したとのことである。カーボンブラックとすだれコードによりタイヤライフは1桁程度アップしたとみられている。タイヤコードの材質はもともとは良質のエジプト綿が使われていたが、1937年にはレーヨンが、また、1942年にはナイロンが、また、1962年にはポリエステルが使用されはじめ、夫々、強度及び性能が向上した。

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また、1948年頃からラジアルタイヤが出現しはじめた。これはタイヤコードを円周と直角に配置し更に円周にベルトを巻いたもので、従来の斜めに交互に重ねたバイアスタイヤより、寿命は倍増した。

今後のタイヤに要求されているのは、予備タイヤを積んでおく必要のないタイヤの実用化、転がり抵抗の小さい省エネルギータイヤ、低騒音タイヤの開発等である。更には環境問題に関連してライフサイクルアセスメント(LCA)の観点からの検討も必要視され始めている。

( 以 上 )